自己形成について

さて、先日いとこのおじさんが亡くなった。

69歳だった。

いとこの兄たちは自分より年上。父はこちらのほうが年上。父は以前にがんをやったので、まあ危ないかなと思っていたらその後は意外に元気になって今に至る。

そうこうしていたらおじさんのほうが先に逝ってしまった。

最近の若い子は外に(海外に)出たがらない。これは統計のデータでも語られるし、自分自身の実感としてもそう。

そんな中、自分はなぜ海外に行こうと思ったのか?

そのルーツがこのおじさんといとこのお兄さんにあるように思う。

 

やはり自分の人格形成というのは絶対に周囲の環境というものはある。自分でも意識していなかったが、今回の件を機に振り返ってみると、幼少期から海外を飛び回っていたおじさんがいて、その息子であるいとこの兄はJICAでアフリカに行った。

そういう人たちが身近にいたから、だから海外が具体的にイメージ出来るところだったように思う。

さらに考えてみるとおばあちゃんにもそのルーツがあるように思う。

おばあちゃんはいとこのおばさんたちに連れられて物怖じせず海外に何度も行っていた。

もしこれが閉鎖的な土地柄だったり、田舎だったりで育ったとしたらまた自分は変わっていたのだろう。結局成長過程において自らの取捨選択によって、人格は形成されていくのだと思うが、自我が確立されるまでの影響というものはやはり除外して考えることはできない。

そんなことを考えていたらあらゆるものが一つでも欠けていたら今の自分は無いのだな、と思う。本当に感謝だと思う。

明後日がお通夜で、次の日が告別式。

あいにくこの日は行けません、すみません。

ご冥福をお祈りします。安らかにお休みください。

 

と言うわけで、おじさんにはお礼を言いに行こうと思う。自分も誰かのそんな人になれていたら嬉しい。

月曜日にお線香あげに行かせていただきます。

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