街頭の募金活動、アレって一体何なの?本気なの?
|まず初めに熊本の震災、現地被害に会われた方々、心よりお見舞い申し上げます。
さて、この時期にこんな事を書くと賛否両論巻き起こるだろうし、大して内容も理解しようとしない感情論派の方々の総バッシングを受けるのだろうけど、そんなこと知ったこっちゃない。このタイミングで敢えて書こう。
私は街頭の募金活動が大っ嫌いだ
いきなり感情論かい!と思うことなかれ。その理由をこれから述べていく。
まずナゼ街頭の募金活動に賛同出来ないのか?
募金活動でお金を集めようって、本気なのか?薄っぺらい善意に満ちた行動に酔っているだけではないのか?
実際募金活動1時間辺り、そして人数と募金箱でどのくらいの金額が集まるか私は知らない。しかしながら推測するに多くは無いのでは無いかと。
ここで言いたいのが、本当に募金でお金を集めたいならば、その街頭に立つ1時間を普通のバイトでも何でもして確実に入るお金を稼いだ方が確実で早く、金額は大きくは無いのか?
本当に募金をしたいならば、私ならば上記手法を取る。街頭になんか絶対に立たない。
また、本当にお金を集めたければ、知人・友人に数千円から数万円でも協力を募った方が多く集められるはずだ。
例えば子どもたちであれば、両親、そして祖父母などに募金したいからお小遣いくれ!と言えば圧倒的に多くのお金が集められるのでは無いだろうか?
ボランティアの形は様々
私はその行為を行っている成人達を非難しているのでは無い。ボランティアの形は様々なので、その手法を取る人がいてもそれは何ら構わない。
自粛ムードと言われたって仕事頑張って稼いで税金を多く納める!これも1つ
現地に行って直接的にボランティア活動に従事するのも1つ
ボランティアは必須で無いので何もしないのも1つ
色々な形がある。
不幸なのはそうした善意の皮を被って、本質的な事からずれたことをさせられてしまっている子ども達だ。
街頭のボランティア活動に従事させられている子ども達は直ちに解放してあげて欲しい。もちろん、上記のような説明をした後に、それでも街頭募金に立つ、と言うことであればそれは自由意志の元に決定された結論だからそれは自由にやったらいい。
もちろん、子どもたちに悪意は無い。それこそ本当に純粋な善意で募金活動を行っているはずだ。
しかしながら上記のような情報、そして選択肢、これを与えられずにいるのは残念でしかない。
子どもに熊本のために募金活動をしよう!と言ってイヤだ、と言える人間、別の手段まで頭を回せる人間がいるだろうか?
もちろんゼロとは言わない。でも数は多くないはずだ。
慈善団体だって良く分からん
更にはその先にある募金を渡す先の団体だってピンきりでどれがいいか何て分からない。今の時代こうした情報の中から真偽を自分の目で見極める必要がある。
熊本の被災地の状況もネット上では玉石混交、真偽が分からないものも多い。ちょっと自分も情報の拡散に躊躇しているのは、自分にはそれを見極める能力が無いから。
もう少し確定して信じられるモノが出てきたら積極的にやりたい。今は皆さんが流している情報が正しく、善意のもとに行われているものだと信じたい。
私は私なりに考えた貢献をしていきたいと考えている。
また、記事更新もやる気が出ますので応援していただければ幸いです!