原子力発電(技術)は「賛否」で議論するからダメなんじゃないの?

最近ふと思った事があって書いてみようと思い至りました。

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日本においては原子力発電、ひいては世界的な原子力技術に関して、各国それぞれ賛否は分かれているように思います。

各国の状況に合わせて考えるまで自分の考えがまとまっていないので、日本国内に限定して考えてみます。

また、客観的なデータとかを事前に提示して論を展開するわけでは無く、自分が見聞きして判断した結果なので信憑性うんぬんは各自のご判断にお任せします。

 

本当のデータはどれなのか?

結局、これが一番大きいように思う。例えば政府とか、企業とか、恣意的な判断が加わっていない客観的な「事実」は何なのか?

これが本当に分からない。

例えば、原発付近の放射能の数値は実際には人が住めないレベル、とか

実は放射能の数値は本当は高く無く住めるレベル、とか

反対派、賛成派ともに双方に都合のいいデータを持ってきて論ずるから、そりゃどっちも説得力がある。

 

個人的に納得の記事がある。

脱原発の“不都合な真実”:ドイツの実態に目を向けよ

一歩先に脱原発を実施したドイツの現状だ。 基本的に価格は高騰している様子。

 

電気料金は基本的に上昇を続けている。

原発停止だけじゃない、電気料金上昇の真相

 

こういう記事もあるのだけど、この原因は燃料価格の下落によるもので、原発は関係ない。

11月の東電・東京ガス料金下げへ…5か月連続

 

電気料金の高騰は甘んじて受け入れて、それでも廃止へ!

こういう論調の人も少なからずいるだろう。

まあこれも一見、自ら痛み分けで潔し、とする見方もあるかも知れない。

ただ、これが従業員と経営者では見方が大きく変わる。

企業向け電気料金UPで危機迫る?

ちょっと考えれば分かる事だが、コストカット=人件費削減に直結する。こういうしわ寄せは必ずやってくる。

これが自分の給与に直接跳ね返ってくる、となった場合に、それでもこの価格高騰を受け入れられる人はいるのだろうか?

これちょっとすき家の問題にも似ていて、消費に安かろうばかりを求めると結果的に収入に返ってくる、という事。

それでもいい!という人は廃止を主張してもいいのかも知れない。


 

現実的な解は何なのか?

賛成・反対で論ずるのではなく、また感情論も排除して現時点での現実的な解としては何があり得るのか?

これをしっかりと考えるべきなのでは無いだろうか。

 

例えば、現時点で原発全廃を訴える人、当然全廃に対する障害は少なからずある事は認識しているだろう。

ただ、ちょっとした英雄意識?というものがあるのだろうか、その時点で不可能と思われている事に挑戦し、のちに人から「英断」とでも言われたいのだろうか?

ちょっと困難に挑戦する事で悦に入ってしまっているような人が反対派には多い気がする。(あ、ちょっと穿った見方ですね、すいません。)

 

現実的な問題として仮に全廃、とした場合に発生するのが上記価格の問題。

それと廃炉の問題だ。

 

原子炉・使用済み核燃料が瞬時にしてこの世から消え去るのであれば、若干の価格高騰にも耐え、長期的に代替エネルギーを模索する、ということは可能かも知れない。

が、原子炉は「現存」し、核燃料も「現存」する。勝手に消えてはくれない。

 

 

若者が離れ、技術革新が進まない

仮に「全廃」が決定されたとして、誰がそこに携わってくれるのだろうか?

これからの学生が原子力を研究してくれるのだろうか。

当然、こういう傾向になるのは目に見えた結果だ。(どうも学生の原子力業界離れの記事を探すとNHKや産経など軒並み削除されているのですが・・・)

学生の原子力業界離れ

将来が無い技術に若者は寄り付かない。そりゃそうだ。また従事する現状の技術者も年を取っていく一方で廃炉まで何十年とかけ、その方がより危険なような・・・

 

以前、事故が多発していたオスプレイに関して慶応で物理を専攻する学生に聞いてみた事がある。

オスプレイは制御可能なのかどうか?

彼の答えはシンプルだった。

「技術的に難しいですが、絶対に出来ます」

TVや何かであれこれ言っている人たちより、この若い人間からの一言の方がよほど説得力があった。

 

これからも続々と若くて優秀な人間は出てくる。そして彼らの手によって、原子力の技術も安全に制御出来るようになるかも知れない。

 

利便性はリスクとのトレードオフ

結局の所、火を使い始めた所から現代社会の発展はある訳で、オスプレイもそのうち僻地の医療に使われ始めれば反対派も声を潜めるだろう。

車なんて最たる例だ。車なんて最も事故率が高いけど、便利だから使う。

新しい技術を否定する事は不便な生活・不自由な生活に戻ると同義のような気がする。

非常に建設的な動きだと思う。

使用済み核燃料使う次世代原子炉 日立が実用化へ 

 

原子力は継続利用なのでは?

結論として、現時点で瞬時に原子炉・核燃料が無くなり、安価な代替エネルギーが利用可能ならば、原子力は全廃でもちろんいいと思う。

ただ、現実的にそれは難しいのであれば平和的利用のための原子力技術の研究は止めるべきではないのではないかと思う。

なので、賛成・反対、では無く現実的な解とは何なのか?模索していくのがこれから必要なのでは無いだろうか。

 

誰かが言っていた。一度開けたパンドラの匣を閉めてはいけない、と。人類の発展には有益なものだと。

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